2008年6月24日火曜日

血小板献血



血小板献血をし始めて、ちょうど今日、10回目になりました。
いとこの母、つまり私にとって叔母さんが思い病気になり、
血液型が私と同じでちょうどO型で、血小板を
提供することになりました。少しでもお役に立てればと
思う一心で車を日赤病院まで走らせています。
成分献血とは、コンピュータ制御された成分採血装置を
使用して血液中の特定成分である、
血漿(けっしょう)や血小板(けっしょうばん)だけを
抽出して献血し、そのほかの体内で回復に時間の
かかる成分(赤血球や白血球など)を再び体に戻すという献血法です。 
だから成分献血は体への負担も軽く、
多くの血漿や血小板を献血できる特徴があります。
抽出された成分の色は血液の赤ではなく、濃い黄色をしています。 
血液の赤色は赤血球に含まれる「ヘモグロビン」の色で、
成分献血には赤血球が含まれていないからなのです。
採血には長いと1時間程度必要です。
献血の中でも血小板献血は特に重要で、白血病やガンの治療に
欠くことが出来ず、輸血用血液供給の40%以上を占めています。 
しかも全血献血・血漿献血に比べて、血小板の有効期間が
採血後72時間以内と非常に短いため、
多くの方の協力が必要となっています。

2008年6月23日月曜日

PTA教育講演会 喜田三津雄氏

 
私が役員をしている小学校のPTAで
教育講演会を企画しました。
子供たちの健全な育成には、まず親が人間として
自立した考えを持ち、前向きに生きることが大切。
立派に頑張っていらっしゃる方のお話を聞いて
少しでも啓発できたらと願っています。

喜田三津雄さんは、こんな方です。
「不登校。中途退学。若者の心の問題を、
社会問題として捉えることは簡単である。
しかしそこには、一人ひとりの気持ちがあり、心がある。
『既存の学校システムでは救えない子供達の存在』
それが、一教師の生き方を変えた。
福山市内で中学教諭だった喜田 三津雄氏は
1995年、勤めていた学校を退職し、
カウンセリング主体の各種学校を始めた。
中学教諭時代から、いじめ・不登校・暴走族・
少年犯罪などに体を張って接してきたからこそ、
生徒に正面から向き合うことができる。
現在は、学校法人喜田学園 東林館高等学校の
理事長として、生徒の心と教室で語り合う。
生徒の心の中を誰よりも理解する喜田 三津雄さんです。」
今から講演を聴講するのが楽しみです。
 

2008年6月18日水曜日

ゴディバのチョコレート

 
先日、知人からお土産に高級チョコレート・ゴディバの
チョコレートをいただきました。
いただくことはあっても、なかなか自分用には買えない代物です。
物価高でますます家計は圧迫されているご時世にかかわらず
ブランド品や高級品は売れています。
贈答用の品はケチりたくないということなのでしょうか。

ゴディバの名は、11世紀の英国の
伯爵夫人レディ・ゴディバに由来します。
シンボルマークである馬に跨った裸婦こそが、
重税を課そうとする夫を戒め、苦しむ領民を救うため
自らを犠牲にした誇り高き彼女の姿です。
領主である夫は領民への重税の免除と引き換えに、
彼女に一糸纏わぬ姿のまま、馬で町を駆け廻ることを
言い渡したのです。領民たちはそんな彼女の姿を見ないように、
窓を閉ざし敬意を表しました。
ゴディバの創始者ジョセフ・ドラップスと妻ガブリエルは、
レディ・ゴディバの勇気と深い愛に感銘し、
1926年ベルギーに誕生した自らのブランドに
「ゴディバ」の名を冠しました。以来約80年、
ゴディバはその愛の精神をチョコレートに込め続けています。
味わう人すべてをしあわせで満たす芳醇な味わいは、
人を思いやる深い愛を伝えます。
ゴディバのチョコレートを味わうひととき…それは愛に満ちた時間です。
 
 

2008年6月16日月曜日

モリアオガエル



 
加計町の吉水園に行ってきました。
モリアオガエルの泡状の塊の卵を鑑賞しました。
庭園はそれはそれは立派な景観ですばらしかったです。

モリアオガエルは山地の森林の樹上にすむ。
皮ふはざらざらしている。東北日本の個体はどれも緑色だが、
関東以西では背中に赤かっ色の斑紋が入ることがある。
4~7月が繁殖期で、メス1頭に複数のオスが抱接(ほうせつ)し、
水面に張り出した枝先や草の上に
約300個の卵を含んだ白いあわ状の卵塊(らんかい)を産む。
ふ化した幼生は水中に落下して成長する。

2008年6月14日土曜日

私の愛車


私の生活になくてはならないものと言えば、それは車。
どこに行くにも何をするにも、この車が私の足となって行動半径を
格段に広げてくれています。
しかし、ガソリンが値上がりしたのは、痛いですね~。
 

軽自動車のイメージを超え、重量感あふれるモダンなスタイリング。
AZ-ワゴンらしさを主張しているのは、グリルやヘッドランプ、
繊細はカーブを描くフロントフェイス。
そして立体オーナメントとともに上方へ伸びた
リアコンビネーションランプが、ひときわ個性的なリアビューを
印象づけています。
室内は、両サイドへ向けてラウンドしたインパネが、
なんとも伸びやかな開放感を与えてくれるデザインです。
スイッチは操作する時に運転姿勢が妨げられないようにと、
操作系スイッチ類を使いやすい位置に集中的に配置しました。
視線の移動が少なく、すべてのスイッチにスムーズに手が届き、
しかも大型ではっきりと表示されています。

2008年6月11日水曜日

ジャザサイズにはまっています



ジャザサイズを始めて2年が過ぎました。
週に3~4回は通っています。
 
ジャザサイズは世界をリードするダンスフィットネスプログラムです。
今から約35年前にジュディ・シェパード・ミセット
によって生み出されたこのプログラムは、
ジャザサイズのフランチャイズインストラクターたちによって
全米50州およびカナダ、メキシコ、オーストラリア、
イタリア、イギリス、日本など29の国々で展開されています。
世界中で毎週約20,000本。45万人以上の愛好家がいるのです。
ジャザサイズは四半世紀以上にわたり、
1,300万人もの人々に、このダンスを基本とした
エネルギッシュなプログラムの効用をもたらし続けています。
ジャザサイズは2006年5月1日現在、
日本国内で322のフランチャイジーが、
月に延べ約13万人の参加クラスを提供する
日本最大級のフィットネスフランチャイズ組織に成長しています。

2008年6月10日火曜日

2008年6月9日月曜日

虫、この子何の虫。


 
一見、枝のように見える虫、見~つけた。
 
猫の額ほどの庭の、玄関までの植木がうっそうとしてきたので
風通しをよく するために、剪定をしました。自分で。
ちょっと前に連続して雨が降った時期に
あっという間に緑が茂っていたのに気付いてはいたのですが
腰が重かったので、今になってしまったのです。
1昨年の夏の終わりのこと、なまけて手を入れず放っておいたら
葉と葉の密集したところに蜂の巣ができていました。
玄関までのスロープを歩くたびにハチと遭遇していたのは
巣があったからだったのです。
昨年の夏の終わりなどは、イガイガのある2センチくらいの
ゲジゲジ虫が異常繁殖して大変でした。
剪定しながら、植木は髪の毛と一緒で、
定期的に散髪してやらないといけないんだな、と
思いました(今さらわかりきったことを。ごめんなさい)
私は昔から虫、平気です。
ザクザク、葉っぱを思い切って切り込んでいたら
枝だと思って上の写真の虫に触ってしまいました。
よくできた虫ですね~、枝のような保護色しています。
じっとしてびくとも動かないのです。
何の幼虫だろう。虫かごに捕まえて毎日、観察しています。

2008年6月6日金曜日

こどもかけこみ110番


 

 

 
時代の状況に応じて
子ども達の安全の対処法も変わってきます。
 
今日は小学校で一斉集団下校がありました。
集団下校はよくあることですが、
今日の集団下校はいつもと違います。
子どもの登下校中に子どもの身に
何か危険なことが起きそうになったら
いつでも助けの手を差し伸べますよという
地域の有志の方々のお宅を確認して
その有志の方々に挨拶してまわりました。
これは住んでいる家の近所が単位だったので
主に子ども会が中心となって
子ども会の役員の保護者が立会いました。
私は上の娘が6年生なので
子供会・育成会の役員をやっています。
最近の子ども達にふりかかってくる事故・事件は
想像のできない悪質なものが増えてきて
ある意味、防ぎようもない種類のものです。
しかし、親や大人たちは子ども達を守るために
それでも何か未然にできることから
始めようと知恵を出して活動しています。
こんな世の中にしたのは今の大人たちの責任です。
でも、これではいけないと奮起して
世直しししようと立ち上がるのも
今の大人達のしなければいけないことだと思います。
次世代の子ども達のために
少しでも住みよい世の中になって欲しいです。

2008年6月3日火曜日

ハムスター


 
我が家にはハムスターの”チューティ”がいます。
 
種類はゴールデンハムスターです。
名前はリバイバルで誰かさんが歌った
”キューティーハニー”ならぬ”チューティ”です。
1代目のハムスターはジャンガリアンハムスターでした。
これはゴールデンより1まわり小さい種類で
ハムスターの中で最もポピュラーなもの。
その子の名前は”忠太郎”でした。
残念ながら冬にホットカーペットを出すのが遅すぎて
寒さに耐えられず、昇天してしまいました。
かわいそうなことをしてしまいました。
もうハムスターを飼うのはやめようと
この母は思ったのですが、しばらくたってから
子ども達がまたハムスターを飼いたいと言い出しました。
ふと見た新聞の「差し上げますコーナー」に
ハムスターがあるのが目に留まりました。
あぁ、これは何かの縁かも!と
さっそくいただきに行ったのです。
そのハムスターはうちの子になって今ちょうど2年目です。
サイズは大きいけれどとってもかわいいヤツです。
愛嬌たっぷりで見ているだけで心が癒されます。
もちろん、お世話は母の仕事ですよ(*_*)。
飼いたいと言い出した子ども達、どーいうこと!
でも、何にしろ生き物が家にいるっていいですね~。
なにせ、かわいいんで、すべて許せちゃいます。
長生きして欲しいなぁ…。

2008年6月2日月曜日

マイホーム


 
忘れもしない2001年の8月25日、米国から帰国。とんとん拍子に
話はまとまり翌年には念願のマイホームを持つことになりました。
 
この家は土地から探しました。駅に近くて便利がよさそうだし、
土地の価値が下がらないだろうと思ったのですぐに決めました。
本来は建売物件の予定だったようですが、
家が建つ前に契約したので、
間取りから何から何まで自由に自分達の好みの物に
変えることができました。その点はすごくよかったです。
ちょうど建っている時が真夏の夏休み最中だったので、
子ども達二人を引き連れて、毎日、家の進行具合を
見に来たものです。
米国ではそれはそれは広い家に住んでいました。
総地下室のある平屋の家だったんですが、
娘は家の中用の三輪車にのって家中をぐるぐるしていました。
ビルトインガレージで車庫から直接、家に入ることができました。
裏庭などは草野球ができるくらいの広さがありました。
セントラルヒーティングシステムのおかげで家の中は
一年中快適温度に保たれていました。そんな家に
住んでいたので帰って住んだ3DKのコーポは狭かった!! 
でも日本に帰ったら不思議と日本の風土にすぐに
慣れてしまって違和感がなくなったのは、
やはり自分の中に日本人の血が流れていたからなんでしょうね。
せまいコーポともおさらばして、このマイホームに住むのを
指折り数えてわくわくしながら待っていたのがとてもなつかしいです。
この家に住んでこの冬で6年目になります。
月日のたつには早いですね~。

2008年5月31日土曜日

クラシック・バレエ


 
娘は6年間やったクラシックバレエをやめました。
 
私自身、小さい頃、クラッシックバレエに憧れていて
バレエを習いたかった思いがあったので
自分に女の子が授かったら、
バレエをやらせたいと思っていました。
米国では、3歳になった娘を町のダンス教室に
連れて行きました。日本に帰ってからも
もちろん、すぐにバレエ教室に入れました。
娘はこの母の気迫に圧倒されてか
言われるがままに踊りを習っていました。
この母は踊る娘の姿を見るのが
とてもうれしくてうれしくて…(~_~)。
別にバレリーナにするつもりはなかったんですが。
踊りたければずっと応援するつもりではいました。
しかし、娘も1人の自我を持つお年頃になりました。
小さい頃のように、母の思い通りには行きません。
ハッキリと娘はバレエをやめたいとは
言わなかったけれど、母に映る娘はバレエを
楽しんでいないように見えました。
もう、これ以上は無理かな、と吹っ切れて
「バレエやめてもいいよ」って言ったら
娘はバレエをやめてしまいました。
バレエを習った経験は娘にとって無駄ではなかったと
思ってます。娘の意思を尊重してやりたい。
残ったたくさんの写真とバレエ用品を見るたびに
この母は感慨にふけっています。

2008年5月28日水曜日

かぶと




 

5月が終わりに近づき、6月がくるので
兜を収めることにしました。

この兜は、約9年前、私の息子が生まれた時、
わざわざ海を渡って、日本から米国のミズーリ州まで
送られてきたものです。
私の父と母は、色々な思いを込めて品定めして
この一品を送ってくれたんだろうと思います。
親になって初めて親の気持ちがわかります。
この兜、大き過ぎず、派手過ぎず、
コンパクトなので収めても場所をとりません。
私この兜でとても満足しています。
娘のお雛人形は3月3日を過ぎるやいなや
すぐに片付けるのだけど、
(そうです、迷信が気になるのです。)
毎年、男の子の兜は存分に眺めてから収めます。
年に一度、箱から出すたびに1年の経過を
思い知らされますね~。
このたびも感慨にふけりながら
収めました。また、来年ね~と心で思いながらね。

2008年5月26日月曜日

蝶になる瞬間



 
11匹ものさなぎがあれば、
一つくらいはさなぎから蝶になる瞬間にお目にかかれるだろうと
こまめに虫かごをのぞいていました。
すると、遭遇しました!
まあ、さっきまで狭いところに
押し込められていた体と羽根がみるみるうちに
しゃんとなって、ウォーミングアップし始めるではありませんか。
ちょっとした感動の瞬間でした。
歌舞伎役者さんが舞台の上で衣装の早変わりを
するかのような感じかな、見事です。
11匹全部が旅立ってしまいました。
葉っぱの上をゴソゴソしていたみにくいいも虫ちゃんたちが
最後はモンシロ蝶になって
この大空かなたへ飛んで行っちゃいました~。

2008年5月25日日曜日

衣がえ


 
日中、25度をこえる日が続いてくると
着る服は完全に夏物です。
 
しかし、ちょっと前まで長袖だったのが、
あれよという間に気温が暑くなっても、
その変化にピッタリ、あわせるのはハッキリ言って難しい。
夏物を収めているクローゼットの中から一枚一枚、
その日に着る夏物の服を引っ張り出しては
暮らしておりました。
しかし!服に関してのその日暮らしはやめました。
先日、重い腰を上げて、衣がえをしたのです。
「衣がえ」って6月のはじめでしたよね。
子どもの学校に制服でもあるとわかりやすいんだけれど。
この度はこの衣がえを機に
大幅に服を処分することに決心がつきました。
「まだ着れる」「まだいつかは着れる」と
捨てられずにいた服たちに踏ん切りがついたのでした。
あーもうウエスト61センチの服は着れない!と
悟ったのでした(*_*)。
さすがにウエスト61は無理だよね~。
いえ、それでも私は今まで希望を捨てずに
クローゼットの中でこの服たちを温めていたのでした。
週2~3回、もう2年以上ジャザサイスで運動しているのに
ウエストは61に戻る気配さえありません。
あきらめました!年齢からくる体型の変化には
逆らえないことを痛感いたしました!
悲しい反面、さっぱりした気分でもある衣がえでした。

2008年5月23日金曜日

蝶の旅立ち



 
ついに、さなぎが蝶になり始めました。
 
次から次へと虫かごの中は
蝶がところ狭しと飛び回っています。
同じ時期にさなぎになったので
蝶になるタイミングも同じのようです。
次はこの子だろうな、とわかるほど
さなぎの色合いが微妙に違ってきます。
ベビーラッシュ、ならぬ、バタフライラッシュ。
見事ですね。
誰が教えたわけでもないのに
青虫はさなぎになり、そして蝶になる。
さぁ、息子の仕事。
蝶を外の広い世界へ解き放ちます。
しばらくは家のまわりをチラチラ飛んでいますが、
そのうち、蝶の姿は見えなくなりました。
残りわずかな命を懸命に生きてね。



2008年5月21日水曜日

広報誌


  

  
今年も、私は二人の子ども達の小学校で
PTA役員をやってます。去年は執行部の書記
だったけど、今年は広報部の委員長という役を
仰せつかってしまった。
上の写真は、初仕事、5月20日発行の
PTA新聞です。この新聞は学校のPTA会員と、
会員以外に廿日市市内の全小学校広報部、
地域の全町内会にも回覧するので、
800部も印刷しました。
学校のPTA役員やクラス委員はいつもなり手がなく
年度初めは走り出しが鈍くなります。
数ある委員の中でも広報委員は特に人気がない!
絞り出すような感じでなんとか6学年全委員が揃いました。
年度初めの広報紙は定番記事の”先生の紹介”です。
白い模造紙を持って、休憩時間に35人の先生を
つかまえてスナップ写真を撮るのは
ちょっとした労働でした。
なにせ、鍵開けの用務員さんは朝7時前に
学校に行かないとつかまらなかったし、
週に3日、午前中しかいらっしゃらない先生もいたり。
依頼原稿が〆切りに間に合わない先生も数人いました。
原稿が揃っても、パソコンのできないお母さんが多くて、
手取り足取りやっていたら、ますますこちらの仕事が
多くなります。
ここまでパソコンが浸透している時代なのに
案外、できない人が多いのには驚きです。
なんとかデータ原稿が完成して間に合わせることが
できました。これから後3回、
PTA新聞の企画・編集頑張りま~す。

2008年5月19日月曜日

パン作り



 
ホームベーカリーで焼けるパンは1斤です。
 
その1斤を食べきるには4~5人家族の必要があります。
二人暮らしとか1人暮らしだと半分以上残ってしまいます。
残ってもいいんだけど、切り口をラップにくるんで
密着させても、やっぱり切り口からふんわり感が
なくなってしまいます。
そこで、私は自分達用に焼く時以外は
1斤分の種をわざわざ二つの型に入れかえて
焼きます。そうです、途中からマニュアル作業です。
少し手間がかかリます。
ホームベーカリーでは生地作りメニューにセットして
約1時間後、1次発酵済みの生地まで働いてもらいます。
その後、パンケースから取り出して生地を4分割して
10~15分のベンチタイム。
めん棒で薄くのばして角切りチーズを散らし、
横を内側に折って手前から向こうにロールさせます。
この作業を4個分やって型の中の収めます。
二次発酵は発砲スチロール箱の中で
またまた、お休みタイムです。
35~38度と湿気をキープさせるため
熱湯をなみなみ注いだ湯飲み茶碗を二つ入れます。
60分~90分後、ドリールを塗ってゴマを散らし
200度のオーブンに3分、180度で約10分焼きます。
父と母は二人っきりで小食なので
この反斤サイズがちょうどいいらしいです。
実家に訪問する時は必ず、自家製食パンを持参。
パンたちはフィルム袋に入って、おめかしして、
もらわれていきます。好評です。
イースト菌を使った食パンの工程は約3~3時間30分
かかります。その間に差し上げる相手の
ことをあれこれ考えたりして気持ちもこもります。
やっぱり手作りはいいですね!!
 

2008年5月18日日曜日

さなぎになった青虫たち














見事なほどに11匹いた我が家の青虫たちは
全員(?)さなぎになってしまいました。
たらふく食べて、静かな環境でぬくぬくと、
さなぎに変身してあとはモンシロチョウになる準備です。
何度見ても不思議な生命の現象ですね。
これから、約10日間(ぐらい)静観します。
モンシロチョウになったはいいけれど
蝶の命は短くて…ってね。
虫の世界もきびしいですね。

2008年5月14日水曜日

青虫



我が家にまた青虫たちがやってきました。

まわりが緑に囲まれた環境に住む人にとっては
青虫なんて珍しくもない光景でしょう。
青虫は農家の人たちにとっては、
大事な作物を食べ荒らす害虫です。
しかし、ところ変われば立場が変わる、
我が家に連れて来られたこの青虫たち、ラッキーです。
思う存分上等なキャベツを食べ
たらふく食べて、ぷりんぷりんに太って
雨風吹かない外敵の絶対襲ってこない静かな環境で
さなぎ時代をのんびり過ごし、蝶になれるんです。
私と私の息子が四六時中、のぞいているという
ストーカー行為が気にならなれば、
青虫にとっては天国!?かな。
こんな小さな生き物も
与えられた命の道を全うしています。
また不思議な七変化を真近に楽しんでいます。

田植え



田植えの季節になりました。
ついこの間、新年を迎えたというのにね~。
月日は淡々と着々と過ぎてるんだなって思います。
主人のお義母さんが、義父亡き後、
先祖から引き継いだ田んぼを一人で守ってくれています。
全部の田畑の面倒みるのは
大変なので今はこの一面のみ。
65歳を過ぎて体のあちこちに故障のある義母にとって
この一面のみの米作りも、
年々、作業が重労働になってきています。
子供はうちの主人を筆答に4人(男2、女2)います。
が、残念ながら誰も、このふるさとに居を構えていません。
救いなのは、みんな家族を持ち、
みんなそれほど遠くない所にいるってことかな。
田植えの日程が決まると、手伝いに帰れる者は
手伝いの帰ります。私は毎度、食事担当。
しかし、田んぼに入って機械の植え残した端っこに
進んで苗を植える若い衆はいません。残念ながら…

人は、頼まれてやる時と、
自分からやりたくてやる時では
積極性が全然違ってきます。
考えを変えて、自分のことと納得し、
楽しめば農作業も、絶対、楽しい。

農作業に対してこういう風に考えられるようになって
自分も若い頃と比べると、ずいぶん丸くなったと思う。

2008年5月12日月曜日

季節の和菓子





きっかけはお義母さんからいただいた「もち粉」です。
私の和菓子作りのスタートはそこから始まりました。
4~5Kgぐらいあったかしら…、もち粉の活用に困って(
我ながら、捨てなかったのはえらかった)
もち菓子を作ることを思いつきました。
独学では限界があるので
和菓子を教えてくれる教室をすぐに探して通い始めました。
ケーキやパンは習う人が大勢いますが、
和菓子を作る人は少なく、もの珍しさが加わって重宝されます。
また、和菓子はバターや生クリームを使わないので
洋菓子よりカロリーが低くヘルシーなのです。
カロリーが気になる私にはすごくありがたい!
今後も色々な和菓子にチャレンジして、レパートリーを
増やして楽しんでいきたいと思いま~す。

いちご



少し前の話。
私は今の時期、よくいちご大福を手作りします。18番です。
ふつうの「大福」には目もくれない我家の子供たちでも
「いちご大福」になると、喜んで食べてくれます。
いちごとあづきの絶妙な組み合わせは、本当に美味!
この私も大好きです。
店で売っているいちご大福は100~120円します。
もち粉やいちごの材料代を考えると、
はるかに自分で作った方が安上がりにできるので
買う気になりません。これも自分で作る理由でもあります。

さて、先日、病院に入院した叔母に手作りのいちご大福を
持ってお見舞いに行こうと思いつきました。
いつもは、自分達用にいちご大福を作る時は
お安い値段のいちごを買っていました。
どうせあづきで包まれて外からは見えないしね。
しかし見舞い用となると、そうもいかないので
グレードを上げて値段の高くて上等のいちごを買おうと思い
店先にならんだいちごのパックを品定めし、大粒で
ぷるんぷるんしている名の知れたブランドいちごを購入しました。
しかし!、家に帰ってガックリ!
パックに並んだ2段目のいちごは1段目の立派ないちごと違って
みすぼらしい、しょぼいいちごが並んでいたのです。
これって一種の詐欺!?見えないところだから手抜き!?
消費者をだますような商売していたら絶対いいことありません。
私は二度とそのブランドのいちごは買わないでしょう。
「見えないところでもきっちりやる」ことの重要さを
思い知らされた出来事でした。

2008年5月11日日曜日

デジタルカメラ






この3台は私のデジカメの歴史です。
上の写真1代目オリンパスはほんの131万画素でした。
2代目フジフィルム・ファインピクスは630万画素。
そして3代目カシオ・エクシリムは1200万画素。
不思議なことは性能がよくなっているのに値段が
安くなっているということ。
今年のはじめに買ったエクシリムは3万6千円だったのだ!
安くなるのはうれしいことです。
薄型テレビもどんどん安くなってるしね。

私は結構、デジカメを使っています。
購入を強く希望した主人よりも、私の方がよく使っていて
まるで私の個人所有のように独占使用しています。
(私はファインピクスで十分満足していたのですが…)
デジカメのいいところはデータ加工ができるということ。
データの使い回しも実に簡単!幅広く展開できます。
また、撮った写真をその場で確認できるのもうれしいね。
フイルム時代はいいも悪いも全部、現像プリントしなくちゃ
いけなかったからお財布が大変だった。
今のデジカメはコンパクト軽量でスリム、持ち運びが楽だし。
デジカメが登場してあっという間に
カメラ市場はデジカメ一色になったけれど、
今、フィルムカメラの良さが再度、話題になってきているみたい。
レコードが完全にCDにとって変わられた後、
レコードの良さが再認識されてきているみたいに
フイルムカメラの良さも再認識される日が来るんだろうなぁ。

2008年5月10日土曜日

米国滞在2




私の二人の子ども達は米国で生まれました。
米国という国は気前のいい国で、
どういう事情であれ、米国国内で生まれた赤ん坊には
必ず米国国籍を与えてくれます。
だから妊娠した女性が密入国して子供を産んで
その子供が米国国籍を取得する
という話がよくあるんだそうです。
私は密入国ではありませんでしたが、
生まれたうちの子2人にも米国国籍がもらえました。
日本国籍もあるので、彼らは2重国籍保有者ですね。
帰国子女ですよ。
別に、2重国籍のメリットはそんなにないのですが、
米国にホームステイするとか、短期留学、
はたまた、米国の学校に進学とかという場合には
米国国民でもあるわけだから、話は簡単でしょうねぇ。
しかし、上の娘は小学校に上がる前に帰国したので
全然、英語を話すことができません。
むこうにいた時は幼児英語ではありましたが、
ぺらぺらとしゃべっていたのですが…。
娘がめざめて、米国に行って勉強したいとでも言い出したら
応援してやろうとは思っているのですが。はたさて。

米国滞在1


突然ですが、私は米国に10年近く住んでいました。
今となっては、ウソのようなホントの話。
なぜ米国にいたかというと、主人の赴任で。
ウソのようなというのは、今、米国にいたということがまったく
感じられないようなドップリの日本の生活に
戻ってしまったから。当たり前か。
私たち夫婦には子供がいませんでした。
というか。授からなかったのです。
でも米国に行って、二人の子供に恵まれました。
赴任する時は2人で旅立ち、帰国する時は4人になってました。
そういう意味では、私たち夫婦は米国に行かなかったら
子なし夫婦のままだったかも知れません。
米国赴任は生活環境も変わりましたが、
人生軌道をも大幅に変えてくれました。これはありがたかった!
私は子供がすごく欲しかったから。
また、まさか、私が自分の生まれ育った国を離れて
異国に住むとは思いもよらなかった。
米国ではいろんな経験をしました。
まず、英語をしゃべらないといけません。道路では右側通行。
お金の単位が違うし物価が違う。
国の広さが違うし、あれやこれや……。
すべてが目新しくて、最初の3年はあっという間に過ぎました。
赴任した当時、私も主人も若かったので異国に旅に
来ているかとでもいうような、うかれた気分だったみたいです。
(続きは次回に)

母の日



さて、今年も母の日がやってきました。
ありがたいことに私には
主人の母と自分の母の二人が元気に健在です。
上の写真の花、プリザーブドフラワーというものなんです。
今、ちょっと流行ってるらしい代物です。知らなかったんですが。
この作品、自分で作りました。もちろん指導してもらってですが。
花は本物の花を急速に乾燥(ドライ)させて、
着色料で染めてあるもので、それらを好みにアレンジして
作品に仕上げます。
従来のようなドライフラワーのような
カサカサ感はなく、見た目ちょっと高級感があります。
ドライなので、湿気のないところだと2~3年は
この状態でキープさせることができるそうです。そこがうれしいかも。
聞いたところによると、お値段はお安くないそうです。
私はたまたまお安く指導してもらう機会があって
このプリザーブドフラワーを知ることになりました。
このお花、母にプレゼントするつもりです。
やはり母の日に何もしないわけにはいきません。
花屋は年に一度のかき入れ時、店先にはひしめくほどの
カーネーション。カーネーション。カーネーション。
鉢物は最低でも2000円代からです。
今年はありきたりなカーネーションにせず、
このプリザーブフラワーで感謝の気持ちを伝えます。
手の入った花のアレンジ、私の気持ちが伝わるかしら。