2008年5月31日土曜日

クラシック・バレエ


 
娘は6年間やったクラシックバレエをやめました。
 
私自身、小さい頃、クラッシックバレエに憧れていて
バレエを習いたかった思いがあったので
自分に女の子が授かったら、
バレエをやらせたいと思っていました。
米国では、3歳になった娘を町のダンス教室に
連れて行きました。日本に帰ってからも
もちろん、すぐにバレエ教室に入れました。
娘はこの母の気迫に圧倒されてか
言われるがままに踊りを習っていました。
この母は踊る娘の姿を見るのが
とてもうれしくてうれしくて…(~_~)。
別にバレリーナにするつもりはなかったんですが。
踊りたければずっと応援するつもりではいました。
しかし、娘も1人の自我を持つお年頃になりました。
小さい頃のように、母の思い通りには行きません。
ハッキリと娘はバレエをやめたいとは
言わなかったけれど、母に映る娘はバレエを
楽しんでいないように見えました。
もう、これ以上は無理かな、と吹っ切れて
「バレエやめてもいいよ」って言ったら
娘はバレエをやめてしまいました。
バレエを習った経験は娘にとって無駄ではなかったと
思ってます。娘の意思を尊重してやりたい。
残ったたくさんの写真とバレエ用品を見るたびに
この母は感慨にふけっています。

2008年5月28日水曜日

かぶと




 

5月が終わりに近づき、6月がくるので
兜を収めることにしました。

この兜は、約9年前、私の息子が生まれた時、
わざわざ海を渡って、日本から米国のミズーリ州まで
送られてきたものです。
私の父と母は、色々な思いを込めて品定めして
この一品を送ってくれたんだろうと思います。
親になって初めて親の気持ちがわかります。
この兜、大き過ぎず、派手過ぎず、
コンパクトなので収めても場所をとりません。
私この兜でとても満足しています。
娘のお雛人形は3月3日を過ぎるやいなや
すぐに片付けるのだけど、
(そうです、迷信が気になるのです。)
毎年、男の子の兜は存分に眺めてから収めます。
年に一度、箱から出すたびに1年の経過を
思い知らされますね~。
このたびも感慨にふけりながら
収めました。また、来年ね~と心で思いながらね。

2008年5月26日月曜日

蝶になる瞬間



 
11匹ものさなぎがあれば、
一つくらいはさなぎから蝶になる瞬間にお目にかかれるだろうと
こまめに虫かごをのぞいていました。
すると、遭遇しました!
まあ、さっきまで狭いところに
押し込められていた体と羽根がみるみるうちに
しゃんとなって、ウォーミングアップし始めるではありませんか。
ちょっとした感動の瞬間でした。
歌舞伎役者さんが舞台の上で衣装の早変わりを
するかのような感じかな、見事です。
11匹全部が旅立ってしまいました。
葉っぱの上をゴソゴソしていたみにくいいも虫ちゃんたちが
最後はモンシロ蝶になって
この大空かなたへ飛んで行っちゃいました~。

2008年5月25日日曜日

衣がえ


 
日中、25度をこえる日が続いてくると
着る服は完全に夏物です。
 
しかし、ちょっと前まで長袖だったのが、
あれよという間に気温が暑くなっても、
その変化にピッタリ、あわせるのはハッキリ言って難しい。
夏物を収めているクローゼットの中から一枚一枚、
その日に着る夏物の服を引っ張り出しては
暮らしておりました。
しかし!服に関してのその日暮らしはやめました。
先日、重い腰を上げて、衣がえをしたのです。
「衣がえ」って6月のはじめでしたよね。
子どもの学校に制服でもあるとわかりやすいんだけれど。
この度はこの衣がえを機に
大幅に服を処分することに決心がつきました。
「まだ着れる」「まだいつかは着れる」と
捨てられずにいた服たちに踏ん切りがついたのでした。
あーもうウエスト61センチの服は着れない!と
悟ったのでした(*_*)。
さすがにウエスト61は無理だよね~。
いえ、それでも私は今まで希望を捨てずに
クローゼットの中でこの服たちを温めていたのでした。
週2~3回、もう2年以上ジャザサイスで運動しているのに
ウエストは61に戻る気配さえありません。
あきらめました!年齢からくる体型の変化には
逆らえないことを痛感いたしました!
悲しい反面、さっぱりした気分でもある衣がえでした。

2008年5月23日金曜日

蝶の旅立ち



 
ついに、さなぎが蝶になり始めました。
 
次から次へと虫かごの中は
蝶がところ狭しと飛び回っています。
同じ時期にさなぎになったので
蝶になるタイミングも同じのようです。
次はこの子だろうな、とわかるほど
さなぎの色合いが微妙に違ってきます。
ベビーラッシュ、ならぬ、バタフライラッシュ。
見事ですね。
誰が教えたわけでもないのに
青虫はさなぎになり、そして蝶になる。
さぁ、息子の仕事。
蝶を外の広い世界へ解き放ちます。
しばらくは家のまわりをチラチラ飛んでいますが、
そのうち、蝶の姿は見えなくなりました。
残りわずかな命を懸命に生きてね。



2008年5月21日水曜日

広報誌


  

  
今年も、私は二人の子ども達の小学校で
PTA役員をやってます。去年は執行部の書記
だったけど、今年は広報部の委員長という役を
仰せつかってしまった。
上の写真は、初仕事、5月20日発行の
PTA新聞です。この新聞は学校のPTA会員と、
会員以外に廿日市市内の全小学校広報部、
地域の全町内会にも回覧するので、
800部も印刷しました。
学校のPTA役員やクラス委員はいつもなり手がなく
年度初めは走り出しが鈍くなります。
数ある委員の中でも広報委員は特に人気がない!
絞り出すような感じでなんとか6学年全委員が揃いました。
年度初めの広報紙は定番記事の”先生の紹介”です。
白い模造紙を持って、休憩時間に35人の先生を
つかまえてスナップ写真を撮るのは
ちょっとした労働でした。
なにせ、鍵開けの用務員さんは朝7時前に
学校に行かないとつかまらなかったし、
週に3日、午前中しかいらっしゃらない先生もいたり。
依頼原稿が〆切りに間に合わない先生も数人いました。
原稿が揃っても、パソコンのできないお母さんが多くて、
手取り足取りやっていたら、ますますこちらの仕事が
多くなります。
ここまでパソコンが浸透している時代なのに
案外、できない人が多いのには驚きです。
なんとかデータ原稿が完成して間に合わせることが
できました。これから後3回、
PTA新聞の企画・編集頑張りま~す。

2008年5月19日月曜日

パン作り



 
ホームベーカリーで焼けるパンは1斤です。
 
その1斤を食べきるには4~5人家族の必要があります。
二人暮らしとか1人暮らしだと半分以上残ってしまいます。
残ってもいいんだけど、切り口をラップにくるんで
密着させても、やっぱり切り口からふんわり感が
なくなってしまいます。
そこで、私は自分達用に焼く時以外は
1斤分の種をわざわざ二つの型に入れかえて
焼きます。そうです、途中からマニュアル作業です。
少し手間がかかリます。
ホームベーカリーでは生地作りメニューにセットして
約1時間後、1次発酵済みの生地まで働いてもらいます。
その後、パンケースから取り出して生地を4分割して
10~15分のベンチタイム。
めん棒で薄くのばして角切りチーズを散らし、
横を内側に折って手前から向こうにロールさせます。
この作業を4個分やって型の中の収めます。
二次発酵は発砲スチロール箱の中で
またまた、お休みタイムです。
35~38度と湿気をキープさせるため
熱湯をなみなみ注いだ湯飲み茶碗を二つ入れます。
60分~90分後、ドリールを塗ってゴマを散らし
200度のオーブンに3分、180度で約10分焼きます。
父と母は二人っきりで小食なので
この反斤サイズがちょうどいいらしいです。
実家に訪問する時は必ず、自家製食パンを持参。
パンたちはフィルム袋に入って、おめかしして、
もらわれていきます。好評です。
イースト菌を使った食パンの工程は約3~3時間30分
かかります。その間に差し上げる相手の
ことをあれこれ考えたりして気持ちもこもります。
やっぱり手作りはいいですね!!
 

2008年5月18日日曜日

さなぎになった青虫たち














見事なほどに11匹いた我が家の青虫たちは
全員(?)さなぎになってしまいました。
たらふく食べて、静かな環境でぬくぬくと、
さなぎに変身してあとはモンシロチョウになる準備です。
何度見ても不思議な生命の現象ですね。
これから、約10日間(ぐらい)静観します。
モンシロチョウになったはいいけれど
蝶の命は短くて…ってね。
虫の世界もきびしいですね。

2008年5月14日水曜日

青虫



我が家にまた青虫たちがやってきました。

まわりが緑に囲まれた環境に住む人にとっては
青虫なんて珍しくもない光景でしょう。
青虫は農家の人たちにとっては、
大事な作物を食べ荒らす害虫です。
しかし、ところ変われば立場が変わる、
我が家に連れて来られたこの青虫たち、ラッキーです。
思う存分上等なキャベツを食べ
たらふく食べて、ぷりんぷりんに太って
雨風吹かない外敵の絶対襲ってこない静かな環境で
さなぎ時代をのんびり過ごし、蝶になれるんです。
私と私の息子が四六時中、のぞいているという
ストーカー行為が気にならなれば、
青虫にとっては天国!?かな。
こんな小さな生き物も
与えられた命の道を全うしています。
また不思議な七変化を真近に楽しんでいます。

田植え



田植えの季節になりました。
ついこの間、新年を迎えたというのにね~。
月日は淡々と着々と過ぎてるんだなって思います。
主人のお義母さんが、義父亡き後、
先祖から引き継いだ田んぼを一人で守ってくれています。
全部の田畑の面倒みるのは
大変なので今はこの一面のみ。
65歳を過ぎて体のあちこちに故障のある義母にとって
この一面のみの米作りも、
年々、作業が重労働になってきています。
子供はうちの主人を筆答に4人(男2、女2)います。
が、残念ながら誰も、このふるさとに居を構えていません。
救いなのは、みんな家族を持ち、
みんなそれほど遠くない所にいるってことかな。
田植えの日程が決まると、手伝いに帰れる者は
手伝いの帰ります。私は毎度、食事担当。
しかし、田んぼに入って機械の植え残した端っこに
進んで苗を植える若い衆はいません。残念ながら…

人は、頼まれてやる時と、
自分からやりたくてやる時では
積極性が全然違ってきます。
考えを変えて、自分のことと納得し、
楽しめば農作業も、絶対、楽しい。

農作業に対してこういう風に考えられるようになって
自分も若い頃と比べると、ずいぶん丸くなったと思う。

2008年5月12日月曜日

季節の和菓子





きっかけはお義母さんからいただいた「もち粉」です。
私の和菓子作りのスタートはそこから始まりました。
4~5Kgぐらいあったかしら…、もち粉の活用に困って(
我ながら、捨てなかったのはえらかった)
もち菓子を作ることを思いつきました。
独学では限界があるので
和菓子を教えてくれる教室をすぐに探して通い始めました。
ケーキやパンは習う人が大勢いますが、
和菓子を作る人は少なく、もの珍しさが加わって重宝されます。
また、和菓子はバターや生クリームを使わないので
洋菓子よりカロリーが低くヘルシーなのです。
カロリーが気になる私にはすごくありがたい!
今後も色々な和菓子にチャレンジして、レパートリーを
増やして楽しんでいきたいと思いま~す。

いちご



少し前の話。
私は今の時期、よくいちご大福を手作りします。18番です。
ふつうの「大福」には目もくれない我家の子供たちでも
「いちご大福」になると、喜んで食べてくれます。
いちごとあづきの絶妙な組み合わせは、本当に美味!
この私も大好きです。
店で売っているいちご大福は100~120円します。
もち粉やいちごの材料代を考えると、
はるかに自分で作った方が安上がりにできるので
買う気になりません。これも自分で作る理由でもあります。

さて、先日、病院に入院した叔母に手作りのいちご大福を
持ってお見舞いに行こうと思いつきました。
いつもは、自分達用にいちご大福を作る時は
お安い値段のいちごを買っていました。
どうせあづきで包まれて外からは見えないしね。
しかし見舞い用となると、そうもいかないので
グレードを上げて値段の高くて上等のいちごを買おうと思い
店先にならんだいちごのパックを品定めし、大粒で
ぷるんぷるんしている名の知れたブランドいちごを購入しました。
しかし!、家に帰ってガックリ!
パックに並んだ2段目のいちごは1段目の立派ないちごと違って
みすぼらしい、しょぼいいちごが並んでいたのです。
これって一種の詐欺!?見えないところだから手抜き!?
消費者をだますような商売していたら絶対いいことありません。
私は二度とそのブランドのいちごは買わないでしょう。
「見えないところでもきっちりやる」ことの重要さを
思い知らされた出来事でした。

2008年5月11日日曜日

デジタルカメラ






この3台は私のデジカメの歴史です。
上の写真1代目オリンパスはほんの131万画素でした。
2代目フジフィルム・ファインピクスは630万画素。
そして3代目カシオ・エクシリムは1200万画素。
不思議なことは性能がよくなっているのに値段が
安くなっているということ。
今年のはじめに買ったエクシリムは3万6千円だったのだ!
安くなるのはうれしいことです。
薄型テレビもどんどん安くなってるしね。

私は結構、デジカメを使っています。
購入を強く希望した主人よりも、私の方がよく使っていて
まるで私の個人所有のように独占使用しています。
(私はファインピクスで十分満足していたのですが…)
デジカメのいいところはデータ加工ができるということ。
データの使い回しも実に簡単!幅広く展開できます。
また、撮った写真をその場で確認できるのもうれしいね。
フイルム時代はいいも悪いも全部、現像プリントしなくちゃ
いけなかったからお財布が大変だった。
今のデジカメはコンパクト軽量でスリム、持ち運びが楽だし。
デジカメが登場してあっという間に
カメラ市場はデジカメ一色になったけれど、
今、フィルムカメラの良さが再度、話題になってきているみたい。
レコードが完全にCDにとって変わられた後、
レコードの良さが再認識されてきているみたいに
フイルムカメラの良さも再認識される日が来るんだろうなぁ。

2008年5月10日土曜日

米国滞在2




私の二人の子ども達は米国で生まれました。
米国という国は気前のいい国で、
どういう事情であれ、米国国内で生まれた赤ん坊には
必ず米国国籍を与えてくれます。
だから妊娠した女性が密入国して子供を産んで
その子供が米国国籍を取得する
という話がよくあるんだそうです。
私は密入国ではありませんでしたが、
生まれたうちの子2人にも米国国籍がもらえました。
日本国籍もあるので、彼らは2重国籍保有者ですね。
帰国子女ですよ。
別に、2重国籍のメリットはそんなにないのですが、
米国にホームステイするとか、短期留学、
はたまた、米国の学校に進学とかという場合には
米国国民でもあるわけだから、話は簡単でしょうねぇ。
しかし、上の娘は小学校に上がる前に帰国したので
全然、英語を話すことができません。
むこうにいた時は幼児英語ではありましたが、
ぺらぺらとしゃべっていたのですが…。
娘がめざめて、米国に行って勉強したいとでも言い出したら
応援してやろうとは思っているのですが。はたさて。

米国滞在1


突然ですが、私は米国に10年近く住んでいました。
今となっては、ウソのようなホントの話。
なぜ米国にいたかというと、主人の赴任で。
ウソのようなというのは、今、米国にいたということがまったく
感じられないようなドップリの日本の生活に
戻ってしまったから。当たり前か。
私たち夫婦には子供がいませんでした。
というか。授からなかったのです。
でも米国に行って、二人の子供に恵まれました。
赴任する時は2人で旅立ち、帰国する時は4人になってました。
そういう意味では、私たち夫婦は米国に行かなかったら
子なし夫婦のままだったかも知れません。
米国赴任は生活環境も変わりましたが、
人生軌道をも大幅に変えてくれました。これはありがたかった!
私は子供がすごく欲しかったから。
また、まさか、私が自分の生まれ育った国を離れて
異国に住むとは思いもよらなかった。
米国ではいろんな経験をしました。
まず、英語をしゃべらないといけません。道路では右側通行。
お金の単位が違うし物価が違う。
国の広さが違うし、あれやこれや……。
すべてが目新しくて、最初の3年はあっという間に過ぎました。
赴任した当時、私も主人も若かったので異国に旅に
来ているかとでもいうような、うかれた気分だったみたいです。
(続きは次回に)

母の日



さて、今年も母の日がやってきました。
ありがたいことに私には
主人の母と自分の母の二人が元気に健在です。
上の写真の花、プリザーブドフラワーというものなんです。
今、ちょっと流行ってるらしい代物です。知らなかったんですが。
この作品、自分で作りました。もちろん指導してもらってですが。
花は本物の花を急速に乾燥(ドライ)させて、
着色料で染めてあるもので、それらを好みにアレンジして
作品に仕上げます。
従来のようなドライフラワーのような
カサカサ感はなく、見た目ちょっと高級感があります。
ドライなので、湿気のないところだと2~3年は
この状態でキープさせることができるそうです。そこがうれしいかも。
聞いたところによると、お値段はお安くないそうです。
私はたまたまお安く指導してもらう機会があって
このプリザーブドフラワーを知ることになりました。
このお花、母にプレゼントするつもりです。
やはり母の日に何もしないわけにはいきません。
花屋は年に一度のかき入れ時、店先にはひしめくほどの
カーネーション。カーネーション。カーネーション。
鉢物は最低でも2000円代からです。
今年はありきたりなカーネーションにせず、
このプリザーブフラワーで感謝の気持ちを伝えます。
手の入った花のアレンジ、私の気持ちが伝わるかしら。



2008年5月9日金曜日

こころの時間

 決まって月に一度、我家の
 郵便受けに入っている無料情報誌。
 その名は「TOMATOトマト」。
 雑誌名サブタイトルは
 …もっと楽しく、もっと豊かに暮らす
 広島ライフスタイルマガジン…。
 これは主に、飲食店と美容室、他に
 美容整形やエステ等の宣伝を満載した
 集客目的の宣伝雑誌だ。
 この雑誌を提示したら料金5パーセント
 オフとか お得な優待やクーポンが
 あるので 結構、役に立っている.
店の宣伝ばかりの内容の中に、
私がいつも探して読むページがある。
それをいつごろから愛読するようになったか覚えていない。
浜崎 隆司「こころの時間」
今回のテーマは親が子供に教えること。
………
「誰でもいいから殺したいと思った」「自分も死にたかった」
といって、見知らぬ他人を傷つけ殺傷する若者の事件が
立て続けに報道されている。
この若者は自分の愛し方を知らないのではないかと思う。
知らないと自分の命や他人の命の価値を感じない。
感じないから人を殺してしまっても罪悪感が生じない。

親は子供に教えなくてはならないこと、それは「自分の愛し方」
である。どうしたら自分を好きになれるか、どうしたら自分を
愛せるようになるか、を幼いうちから教えていかなければならない。
………
私は自分の人生を歩んできて、今は二人の子の母親だ。
自分が親になって子供を持つまでは、親の立場は理解できなかった。
子供のステージから親のステージに移行した今、
親としての自分のあり方はどうか、とよく考える。
この浜崎隆司先生の記事のテーマは人間の心理全般にわたり
読んだ後、う~むとうならせられる。
立ち止まって考えるきっかけを与えられることは人間にとって本当に
必要なことだと思う。

図書館でこの浜崎隆司先生の単行本「出逢いと別れの心理学」
を借りました。一読の価値あり。おすすめです!!

ブックオフの本

この間、本通りのブックオフにぶらりと入って
いつものようにコンピュータ部門のところに行き
最初に目についたのがこの2冊の本。
ブログ開始3回目にしてブログに何を書こうかと
早くも、壁(!?)にぶち当たり、
頭をかかえていたから、すぐ目に止まったのだ。
中の記事をむさぼるように読むと
「いつでもどこでもネタは転がっている」だって!ほんとに~?。
…通勤、通学中に眺めた光景も、
友だちや同僚の笑える失敗も通りすがりの店で
見かけたかわいい小物も書店でふと手に取った本も、
空に浮かぶ雲の写真も、すべてブログのネタにできるのです。…
と書いてある。確かに、そうねぇ……。変に納得。
ブックオフ価格、半額くらいの値段。中古とはいえ十分キレイ!
半額なら少々傷があっても許しちゃう。
お買得感もあり2冊とも買っちゃいました。
この本、片手になんだか、色々アイデアが
湧いてくるような気がしてきたぞ。
しかし、ブックオフはいい商売をしてるなと思う。
売ってる本は中古とはいえ、十分きれいで、しかも定価の半額くらい
ときたら、欲しい人は必ず飛びついて買っちゃうよね。
同じものなら1円でも安いとありがたい。
べつに新品でなくてもいいのだ、だって自分が使ったその瞬間から
もうその本は新品でなくなっちゃうんだから。
早かれ遅かれ、ものは全部中古になるものだから。
ブックオフに入ったら最後、絶対手ぶらではお店を出れない。
だって、お得感で購買意欲を抑えられないの!

2008年5月1日木曜日

似顔絵



またまたブログを書いています。
上のカットは自分の似顔絵です。
私は昔から絵を描いたり字を書いたりするのが好きでした。
小学校時代は父親がよく写生大会なるものに
連れていってくれて、何がしかの賞を
いつもいただいていました。
今は写生大会なんてものあるのかしら。
あっても参加者は少ないんじゃないかな~。
小学校時代は毎回クラスの中で「優秀」か「特選」を
取っていたのを覚えています。
習字は習ってもなくてもまあまあそこそこの字を
書いていましたねー。これも賞を取っていましたので。
この好きが高じて、学業を卒業したら
印刷・デザイン関係の仕事に就きたいと思うようになり、
実際にデザイン事務所に勤めはじめました。
小さなデザイン事務所でした。
給料も見習いなので安かった!
でも今、思い起こすとあの時の習得したこと(技術以外にも)
すべてが今の私の基盤になっています。
もう20年も前のことです。
なつかしいなぁ……。

なんと、登録しました



今日、ブロクに登録し晴れてブロガーになりました。
今、誰でもブログを書いたり読んだりしている時代 です。
ちょっと前の情報によると日本のブログ登録者数は
473万人らしいです。
ほんとにそんな大勢のひとがブログを書いているの!?
ここの書いている私が言うのもへんですが
いったいブログの何がこれほどまでに多くの人を
ひきつけているのでしょう。
時代に流れに取り残されないように
この私も今日から毎日少しづつ頑張っていきたいと思います。
私には山本先生という強力な誘導者(何者?)がいらっしゃるので
ま、先生についていけばなんとかなるんじゃないでしょうか。
思いおこせばパソコンが一般世間に出始めたのが 10年~15年。
私は主人の海外赴任で米国にいたし
子育てに忙しくので、その頃はまったく世の流れを知らないでいました。
主人が日本から空輸で取り寄せた富士通のパソコンが
私がさわった最初のパソコンです。二台目は今使っているこのパソコン。
やはり富士通。BIBLO。私のパソコンライフはこの二台目
から始まりました。それはちょうど、ほんの2年前です。
インターネットの便利さも我が家の毎日の生活に入り込んで
今では他の電化製品と同じ地位を築いています。
子供達もちょっと教えただけで操作をマスターします。
子供たちのパソコンに関してのものわかりの良さにはビックリ。
今、もうパソコンのない生活は考えられませんね~。
存分にこのパソコンと仲良くしていきたいと思います。