2008年6月24日火曜日

血小板献血



血小板献血をし始めて、ちょうど今日、10回目になりました。
いとこの母、つまり私にとって叔母さんが思い病気になり、
血液型が私と同じでちょうどO型で、血小板を
提供することになりました。少しでもお役に立てればと
思う一心で車を日赤病院まで走らせています。
成分献血とは、コンピュータ制御された成分採血装置を
使用して血液中の特定成分である、
血漿(けっしょう)や血小板(けっしょうばん)だけを
抽出して献血し、そのほかの体内で回復に時間の
かかる成分(赤血球や白血球など)を再び体に戻すという献血法です。 
だから成分献血は体への負担も軽く、
多くの血漿や血小板を献血できる特徴があります。
抽出された成分の色は血液の赤ではなく、濃い黄色をしています。 
血液の赤色は赤血球に含まれる「ヘモグロビン」の色で、
成分献血には赤血球が含まれていないからなのです。
採血には長いと1時間程度必要です。
献血の中でも血小板献血は特に重要で、白血病やガンの治療に
欠くことが出来ず、輸血用血液供給の40%以上を占めています。 
しかも全血献血・血漿献血に比べて、血小板の有効期間が
採血後72時間以内と非常に短いため、
多くの方の協力が必要となっています。

2008年6月23日月曜日

PTA教育講演会 喜田三津雄氏

 
私が役員をしている小学校のPTAで
教育講演会を企画しました。
子供たちの健全な育成には、まず親が人間として
自立した考えを持ち、前向きに生きることが大切。
立派に頑張っていらっしゃる方のお話を聞いて
少しでも啓発できたらと願っています。

喜田三津雄さんは、こんな方です。
「不登校。中途退学。若者の心の問題を、
社会問題として捉えることは簡単である。
しかしそこには、一人ひとりの気持ちがあり、心がある。
『既存の学校システムでは救えない子供達の存在』
それが、一教師の生き方を変えた。
福山市内で中学教諭だった喜田 三津雄氏は
1995年、勤めていた学校を退職し、
カウンセリング主体の各種学校を始めた。
中学教諭時代から、いじめ・不登校・暴走族・
少年犯罪などに体を張って接してきたからこそ、
生徒に正面から向き合うことができる。
現在は、学校法人喜田学園 東林館高等学校の
理事長として、生徒の心と教室で語り合う。
生徒の心の中を誰よりも理解する喜田 三津雄さんです。」
今から講演を聴講するのが楽しみです。
 

2008年6月18日水曜日

ゴディバのチョコレート

 
先日、知人からお土産に高級チョコレート・ゴディバの
チョコレートをいただきました。
いただくことはあっても、なかなか自分用には買えない代物です。
物価高でますます家計は圧迫されているご時世にかかわらず
ブランド品や高級品は売れています。
贈答用の品はケチりたくないということなのでしょうか。

ゴディバの名は、11世紀の英国の
伯爵夫人レディ・ゴディバに由来します。
シンボルマークである馬に跨った裸婦こそが、
重税を課そうとする夫を戒め、苦しむ領民を救うため
自らを犠牲にした誇り高き彼女の姿です。
領主である夫は領民への重税の免除と引き換えに、
彼女に一糸纏わぬ姿のまま、馬で町を駆け廻ることを
言い渡したのです。領民たちはそんな彼女の姿を見ないように、
窓を閉ざし敬意を表しました。
ゴディバの創始者ジョセフ・ドラップスと妻ガブリエルは、
レディ・ゴディバの勇気と深い愛に感銘し、
1926年ベルギーに誕生した自らのブランドに
「ゴディバ」の名を冠しました。以来約80年、
ゴディバはその愛の精神をチョコレートに込め続けています。
味わう人すべてをしあわせで満たす芳醇な味わいは、
人を思いやる深い愛を伝えます。
ゴディバのチョコレートを味わうひととき…それは愛に満ちた時間です。
 
 

2008年6月16日月曜日

モリアオガエル



 
加計町の吉水園に行ってきました。
モリアオガエルの泡状の塊の卵を鑑賞しました。
庭園はそれはそれは立派な景観ですばらしかったです。

モリアオガエルは山地の森林の樹上にすむ。
皮ふはざらざらしている。東北日本の個体はどれも緑色だが、
関東以西では背中に赤かっ色の斑紋が入ることがある。
4~7月が繁殖期で、メス1頭に複数のオスが抱接(ほうせつ)し、
水面に張り出した枝先や草の上に
約300個の卵を含んだ白いあわ状の卵塊(らんかい)を産む。
ふ化した幼生は水中に落下して成長する。

2008年6月14日土曜日

私の愛車


私の生活になくてはならないものと言えば、それは車。
どこに行くにも何をするにも、この車が私の足となって行動半径を
格段に広げてくれています。
しかし、ガソリンが値上がりしたのは、痛いですね~。
 

軽自動車のイメージを超え、重量感あふれるモダンなスタイリング。
AZ-ワゴンらしさを主張しているのは、グリルやヘッドランプ、
繊細はカーブを描くフロントフェイス。
そして立体オーナメントとともに上方へ伸びた
リアコンビネーションランプが、ひときわ個性的なリアビューを
印象づけています。
室内は、両サイドへ向けてラウンドしたインパネが、
なんとも伸びやかな開放感を与えてくれるデザインです。
スイッチは操作する時に運転姿勢が妨げられないようにと、
操作系スイッチ類を使いやすい位置に集中的に配置しました。
視線の移動が少なく、すべてのスイッチにスムーズに手が届き、
しかも大型ではっきりと表示されています。

2008年6月11日水曜日

ジャザサイズにはまっています



ジャザサイズを始めて2年が過ぎました。
週に3~4回は通っています。
 
ジャザサイズは世界をリードするダンスフィットネスプログラムです。
今から約35年前にジュディ・シェパード・ミセット
によって生み出されたこのプログラムは、
ジャザサイズのフランチャイズインストラクターたちによって
全米50州およびカナダ、メキシコ、オーストラリア、
イタリア、イギリス、日本など29の国々で展開されています。
世界中で毎週約20,000本。45万人以上の愛好家がいるのです。
ジャザサイズは四半世紀以上にわたり、
1,300万人もの人々に、このダンスを基本とした
エネルギッシュなプログラムの効用をもたらし続けています。
ジャザサイズは2006年5月1日現在、
日本国内で322のフランチャイジーが、
月に延べ約13万人の参加クラスを提供する
日本最大級のフィットネスフランチャイズ組織に成長しています。

2008年6月10日火曜日

2008年6月9日月曜日

虫、この子何の虫。


 
一見、枝のように見える虫、見~つけた。
 
猫の額ほどの庭の、玄関までの植木がうっそうとしてきたので
風通しをよく するために、剪定をしました。自分で。
ちょっと前に連続して雨が降った時期に
あっという間に緑が茂っていたのに気付いてはいたのですが
腰が重かったので、今になってしまったのです。
1昨年の夏の終わりのこと、なまけて手を入れず放っておいたら
葉と葉の密集したところに蜂の巣ができていました。
玄関までのスロープを歩くたびにハチと遭遇していたのは
巣があったからだったのです。
昨年の夏の終わりなどは、イガイガのある2センチくらいの
ゲジゲジ虫が異常繁殖して大変でした。
剪定しながら、植木は髪の毛と一緒で、
定期的に散髪してやらないといけないんだな、と
思いました(今さらわかりきったことを。ごめんなさい)
私は昔から虫、平気です。
ザクザク、葉っぱを思い切って切り込んでいたら
枝だと思って上の写真の虫に触ってしまいました。
よくできた虫ですね~、枝のような保護色しています。
じっとしてびくとも動かないのです。
何の幼虫だろう。虫かごに捕まえて毎日、観察しています。

2008年6月6日金曜日

こどもかけこみ110番


 

 

 
時代の状況に応じて
子ども達の安全の対処法も変わってきます。
 
今日は小学校で一斉集団下校がありました。
集団下校はよくあることですが、
今日の集団下校はいつもと違います。
子どもの登下校中に子どもの身に
何か危険なことが起きそうになったら
いつでも助けの手を差し伸べますよという
地域の有志の方々のお宅を確認して
その有志の方々に挨拶してまわりました。
これは住んでいる家の近所が単位だったので
主に子ども会が中心となって
子ども会の役員の保護者が立会いました。
私は上の娘が6年生なので
子供会・育成会の役員をやっています。
最近の子ども達にふりかかってくる事故・事件は
想像のできない悪質なものが増えてきて
ある意味、防ぎようもない種類のものです。
しかし、親や大人たちは子ども達を守るために
それでも何か未然にできることから
始めようと知恵を出して活動しています。
こんな世の中にしたのは今の大人たちの責任です。
でも、これではいけないと奮起して
世直しししようと立ち上がるのも
今の大人達のしなければいけないことだと思います。
次世代の子ども達のために
少しでも住みよい世の中になって欲しいです。

2008年6月3日火曜日

ハムスター


 
我が家にはハムスターの”チューティ”がいます。
 
種類はゴールデンハムスターです。
名前はリバイバルで誰かさんが歌った
”キューティーハニー”ならぬ”チューティ”です。
1代目のハムスターはジャンガリアンハムスターでした。
これはゴールデンより1まわり小さい種類で
ハムスターの中で最もポピュラーなもの。
その子の名前は”忠太郎”でした。
残念ながら冬にホットカーペットを出すのが遅すぎて
寒さに耐えられず、昇天してしまいました。
かわいそうなことをしてしまいました。
もうハムスターを飼うのはやめようと
この母は思ったのですが、しばらくたってから
子ども達がまたハムスターを飼いたいと言い出しました。
ふと見た新聞の「差し上げますコーナー」に
ハムスターがあるのが目に留まりました。
あぁ、これは何かの縁かも!と
さっそくいただきに行ったのです。
そのハムスターはうちの子になって今ちょうど2年目です。
サイズは大きいけれどとってもかわいいヤツです。
愛嬌たっぷりで見ているだけで心が癒されます。
もちろん、お世話は母の仕事ですよ(*_*)。
飼いたいと言い出した子ども達、どーいうこと!
でも、何にしろ生き物が家にいるっていいですね~。
なにせ、かわいいんで、すべて許せちゃいます。
長生きして欲しいなぁ…。

2008年6月2日月曜日

マイホーム


 
忘れもしない2001年の8月25日、米国から帰国。とんとん拍子に
話はまとまり翌年には念願のマイホームを持つことになりました。
 
この家は土地から探しました。駅に近くて便利がよさそうだし、
土地の価値が下がらないだろうと思ったのですぐに決めました。
本来は建売物件の予定だったようですが、
家が建つ前に契約したので、
間取りから何から何まで自由に自分達の好みの物に
変えることができました。その点はすごくよかったです。
ちょうど建っている時が真夏の夏休み最中だったので、
子ども達二人を引き連れて、毎日、家の進行具合を
見に来たものです。
米国ではそれはそれは広い家に住んでいました。
総地下室のある平屋の家だったんですが、
娘は家の中用の三輪車にのって家中をぐるぐるしていました。
ビルトインガレージで車庫から直接、家に入ることができました。
裏庭などは草野球ができるくらいの広さがありました。
セントラルヒーティングシステムのおかげで家の中は
一年中快適温度に保たれていました。そんな家に
住んでいたので帰って住んだ3DKのコーポは狭かった!! 
でも日本に帰ったら不思議と日本の風土にすぐに
慣れてしまって違和感がなくなったのは、
やはり自分の中に日本人の血が流れていたからなんでしょうね。
せまいコーポともおさらばして、このマイホームに住むのを
指折り数えてわくわくしながら待っていたのがとてもなつかしいです。
この家に住んでこの冬で6年目になります。
月日のたつには早いですね~。